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午前2時1分
お袋が
亡くなりました
1時半頃
突然の電話
間違い電話だと思い
(携帯番号だったから)
どちら様ですか?と
尋ねたプリン
施設のヘルパーの
携帯電話でした
「お母さんがうつ伏せになぅていて
息をしてないんです」
「心臓マッサージしています!
まだまだ頑張って
やりますから!」と
看護師の声
そして
2時11分の電話で
死亡が確認されたと......
涙が溢れて
朝迄
眠れませんでした
直ぐに支度をして
朝一番の新幹線で
浜松に戻り
お袋のいる施設に!
お袋は
とても優しい顔で
10歳は
若返ったようでした
苦しまないで
なくなったからかな
93歳
大往生です
母ひとり子ひとりの
母子家庭でしたが
頑張り屋の
お袋のお陰で
貧乏屋の御坊ちゃまでした
プリンが3歳
お袋が28歳の時から
77歳まで
役員として働きました
53歳の時には
癌になり
病室から叫んだ
お袋の悲鳴は
未だに覚えています
(その後完治)
2年半前
施設で転倒してから
認知症がより酷くなり
プリンの事も
分らない日も
ありました
亡くなる5日前
コロナウイルスの為
面会謝絶の中
施設に届け物があり
訪れた時
看護師が
気を効かせて
お袋を玄関先迄
連れて来てくれました
お袋
また来るからね!
の声に
なんと
手を振って
サヨナラを
したんです!
嬉しかったけど
もしかしたら
最後の別れを
知っていたかなと.....
会社でも
そのサヨナラの話をして
もしかしたら
近い内に
亡くなるかも....
なんて
話していたら
現実になって
しまいました
93年間
男勝りで
とにかく頑張って
生きて来たお袋
プリンと一緒に
4回心中を図り
4回とも
死ねなかったそうです
10円しかなくて
どうしようと
絶望のどん底から
這い上がったお袋でした
役員として
その業界では
日本中に知れ渡っていた
お袋
お疲れ様でした
もう
たくさん頑張ったから
天国で
ゆっくりしてね!